#Column 【 動植物シリーズ集 】

#50 【 廓噺山名屋浦里_SATO NO UWASA YAMANAYA URAZATO 】

#49 【 京鹿子娘道成寺_KYOGANOKO MUSUME DOJOJI 】

#48 【 土蜘_TSUCHIGUMO 】

#47 【 駄右衛門花御所異聞_DAEMON HANA NO GOSHO IBUN 】

#46 【 天守物語_TENSHU MONOGATARI 】

#45 【 弁慶上使_BENKEI JOSHI 】

#44 【 名月八幡祭_MEIGETSU HACHIMAN MATSURI 】

#43 【 浮世風呂_UKIYO BURO 】

#42 【 魚屋宗五郎_SAKANAYA SOGORO 】

#41 【 伽羅先代萩_MEIBOKU SENDAI HAGI 】

#40 【 三社祭_SANJA MATSURI 】

#39 【 壽曽我対面_KOTOBUKI SOGA NO TAIMEN 】

#38 【 引窓_HIKIMADO 】

#37 【 桂川連理柵_KATSURAGAWA RENRI NO SHIGARAMI 】

#36 【 傾城反魂香_KEISEI HANGONKO 】

#35 【 奴道成寺_YAKKO DOJOJI 】

#34 【 女五右衛門_ONNA GOEMON 】

#33 【 助六所縁江戸桜_SUKEROKU YUKARI NO EDOZAKURA 】

#Column 【 スケッチ原画集 】

#32 【 河竹黙阿弥_かわたけもくあみ 】 江戸日本橋の裕福な商家の二男に生まれ、本名は吉村芳三郎といいます。 若い頃から道楽が過ぎて14歳で親から勘当されてしまいました。 仕事より読者三昧の日々を送り、これが将来の糧となります。 五代目 鶴屋南北の門下となり、前名は勝諺蔵、のち柴晋輔、斯波晋輔と名を改めました。 天保14年[1843年]には、河原崎座の立作者となり、二代目 河竹新七を襲名します。 しばらくは鳴かず飛ばずでしたが、四代目 市川小團次のために書いた『都鳥廓白浪』が大当たりして、出世作となりました。 幕末には小團次との提携により『三人吉三廓初買』や『小袖曾我薊色縫』などの名作を次々に発表します。 また、青年時代の五代目 尾上菊五郎のために『青砥稿花紅彩画』を書き下ろし、引っ張りだことなりました。 世に「白浪作者」と謳われたのは、幕末の世相を反映して、盗賊を扱った狂言が多かったからです。 幕末期から明治時代の劇界に君臨した歌舞伎狂言作者の河竹黙阿弥は、江戸歌舞伎最後の集大成者といっても過言ではありません。 [ 代表作 ]三人吉三廓初買・青砥稿花紅彩画・土蜘 ほか

#31 【 鶴屋南北_つるやなんぼく 】 鶴屋南北は、歌舞伎の役者および作者の名跡で、初代から三代目までが道化方役者、四代目以降が狂言作者になります。一般的に「鶴屋南北」といえば、四代目の狂言作者のことを指し「大南北」と称されました。 江戸時代の後期、文化・文政期[1804年-1830年]を中心に活躍した四代目は、宝暦5年[1755年]江戸日本橋生まれで、三代目の女婿に入り、文化8年[1811年]に57歳で四代目 鶴屋南北を襲名しました。 20年余りの長い下積み時代が続いた後、50歳のときの作品『天竺徳兵衛韓噺』が大ヒットし、世に出ました。 その後も、五代目 松本幸四郎・五代目 岩井半四郎・三代目 尾上菊五郎・七代目 市川團十郎といった名優たちと組んで数々の名作を世に送り出しています。俳優たちのそれぞれの持ち味を活かしながら、「悪婆」や「色悪」といった新しい役柄を創出するとともに、当時の庶民生活をリアルに描いた作風「生世話物」のジャンルを確立しました。 代表作『東海道四谷怪談』は、日本の怪談劇の代名詞で、夏の風物詩となっています。 [ 代表作 ]天竺徳兵衛韓噺・心謎解色絲・東海道四谷怪

#30 近松門左衛門の後に活躍した作者には、竹田出雲・三好松洛・並木宗輔・並木正三・桜田治助・奈河亀輔・並木五瓶などがいます。 竹田出雲・三好松洛・並木宗輔らが合作した『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』は「三大名作」と称され、現在まで人形浄瑠璃でも歌舞伎でも繰り返し上演されています。 -- 【 奈河亀輔_ながわかめすけ 】 大坂の歌舞伎作者の姓「奈河」の祖で、奈良に生まれ河内を放浪したために名乗ったと伝えられています。 並木正三の門下であり、安永期[1772年-1781年]の大坂で、初代 並木五瓶とともに活躍しました。 「丸本物」(人形浄瑠璃の戯曲を移入した、義太夫節で進行させる劇)の影響が強かった大坂において、講釈によった「純歌舞伎」(最初から歌舞伎で演じるために書かれた作品)の名作を次々と書き「時代物」に優れていました。 天明期[1781年-1789年]には「総支配人」と称し、興行全般を管理するようになりました。 [ 代表作 ]競伊勢物語・伽羅先代萩・大願成就殿下茶屋聚 ほか

#29 【 近松門左衛門_ちかまつもんざえもん 】 近松門左衛門は、江戸時代の浄瑠璃および歌舞伎の作者として活躍しました。 出生地は諸説ありますが、越前(福井県)が有力で、承応2年[1653年]に誕生し、本名は杉森信盛といいます。 一家で京都に上り、青年期の近松は公家に仕えていました。 その後、宇治座で作者修行を積み、竹本座を創設する以前の竹本義太夫と出会います。 貞享2年[1685年]に近松と義太夫が提携して『出世景清』を上演し、浄瑠璃界に新風を吹き込みました。 近松が作者になった当初は、作品に署名することは一般的なことではありませんでしたが、近松の活躍によって、作者の社会的地位が格段に高くなりました。 元禄時代の歌舞伎は、坂田藤十郎・芳澤あやめなどの名優を生み出し「元禄歌舞伎」の輝かしい一時代を築きました。 元禄16年[1703年]に再び竹本座に迎えられて、最初の世話物である浄瑠璃作品『曽根崎心中』を書いたところ大当たり!人生の大きな転換点となりました。 [ 浄瑠璃 ]出世景清・曽根崎心中・国性爺合戦 ほか [ 歌舞伎 ]傾城仏の原・夕霧名残の正月・傾城壬生大念仏 ほか

#28 【 萬屋_よろずや 】 三代目 中村歌六の妻・小川かめの実家が、市村座の芝居茶屋をしていた小川吉右衛門の「萬屋」だったことに由来しています。 小川かめは、初代 中村吉右衛門・三代目 中村時蔵の母であり、錦之助ら小川家5兄弟の祖母でもあります。 昭和46年[1971年]、初代 中村錦之助ら小川家一門が「播磨屋」から独立するかたちで「萬屋」を名乗りはじめました。 しかし平成22年[2010年]、その前年に二代目 又五郎が他界したため、本家ともいえる「播磨屋」が、二代目 吉右衛門とその門弟だけになるという状況になり、「播磨屋」の衰退を危惧した五代目 歌六と三代目 又五郎の兄弟一門は、ふたたび屋号を「播磨屋」に戻しています。 新興の一門である「萬屋」は、歌舞伎よりも映画に重きを置いたため、歌舞伎界ではとても苦労をしました。その末に世へ出たのが、当代 中村獅童です。 [ 名跡 ] 中村 時蔵・錦之助・獅童・梅枝・隼人 ほか [ 定紋 ] 桐蝶 [ 替紋 ] 蔓片喰/萬屋蔓片喰(錦之助)

#27 【 紀伊國屋_きのくにや 】 初代 澤村宗十郎の出身地である「紀伊國」に屋号が由来します。 初代は上方から江戸に出て享保から宝暦年間まで活躍した、歴史ある名跡の家です。 江戸歌舞伎ではダイナミックな「荒事」が特徴ですが、上方の流れを汲む紀伊國屋は、繊細な「和事」を江戸に持ち込み「江戸和事」を創出したとされています。 七代目は、宗十郎代々の家の芸に自らの当り役を加えた「高賀十種」を定めました。 また「助高屋家」とは、親戚関係にあります。 [ 名跡 ]澤村 宗十郎・宗之助/助高屋 高助 ほか [ 定紋 ]丸にいの字 [ 替紋 ]花有り足有りの笹竜胆 [ 高賀十種 ]苅萱・伊勢音頭・神霊矢口渡・鈴木主水・忠節女夫松・蘭蝶・紀國文左大尽舞・八重桐廓話・鶯塚・廓文章

#26 【 松嶋屋_まつしまや 】 初代 片岡仁左衛門は、元禄時代から大坂を中心に活躍し、敵役が得意でした。 当代で十五代を数え、上方系の名跡では最も歴史あるうちの一つですが、初代から六代目までと、七代目以降とでは、系統がまったく異なり、七代目以降が「松嶋屋」となります。 松嶋屋のお家芸として、明治時代に活躍した十一代目 片岡仁左衛門が撰じた「片岡十二集」があります。 門弟筋の「片岡市蔵家」は、宗家にはばかって屋号を「松島屋」と一字替えています。 [ 名跡 ]片岡 仁左衛門・秀太郎・愛之助 ほか [ 定紋 ]七つ割丸に二引 [ 替紋 ]追っかけ五枚銀杏 [ 片岡十二集 ]馬切り・石田の局・赤垣源蔵・菅公・清玄庵室・吃又・大蔵卿・鰻谷・大文字屋・堀川・木村長門守血判状・和気清麿

#25 【 橘屋_たちばなや 】 「橘屋」には「市村羽左衛門」系統と「芳澤あやめ」系統の二通りがあります。 -- 『市村羽左衛門系 橘屋』 そもそもは、経営不振だった「村山座」の興行権を買い取ったのが、村山又三郎の門人「市村宇左衛門」です。この時に「村山座」から「市村座」に替わりました。 江戸三座の一つ「市村座」の座元と役者を兼ねた「市村羽左衛門」ですが、明治末年に経営権が田村成義の手に渡ると、単に役者の名跡となりました。 名の部分「うざえもん」は、七代目までが「宇左衛門」、以降が「羽左衛門」と記します。屋号は、七代目から十六代目までは「菊屋」、以降が「橘屋」になります。 [ 名跡 ]市村 羽左衛門・竹之丞・萬次郎 ほか [ 定紋 ]根上り橘 [ 替紋 ]渦巻 [ 役者文様 ]亀蔵小紋・市村格子 -- 『芳澤あやめ系 橘屋』 元禄から享保にかけて大坂で活躍した初代 芳澤あやめは、丹波亀山の郷士・橘屋五郎左衛門が贔屓となり、女形を強く勧められて大成しました。この恩を一生忘れず、彼にあやかって「橘屋」を用いるようになりました。 初代 芳澤あやめの三男は、初代 中村富十郎になります。

#24 【 天王寺屋_てんのうじや 】 初代 中村富十郎は、女形の歌舞伎役者であった初代 芳澤あやめの三男で、享保中期から天明後期に活躍しました。絵師でもあり画名は英慶子と称して、肉筆画のほか、摺物、挿絵を描いていました。 享保16年[1731年]に江戸へ下り中村富十郎の名で市村座を勤め、その後は京都の都万太夫座で座元となり、京・大坂・江戸で獅子奮迅の働きをしました。 時代物と世話物を兼ね、若女形を本領としましたが、晩年には立役も勤めています。特に舞踊は天才的な才能を示し、宝暦3年[1753年]江戸中村座で演じた『京鹿子娘道成寺』は大当たりした所作事で、今でも歌舞伎の人気演目として繰り返し上演されています。 また、五代目 富十郎は、伝統芸能を追求するため、復活・新作を含め意欲的に作品に取り組む場として「矢車会」を開いていました。 初代 鷹之資が20歳を迎える頃は、初代 中村富十郎の生誕300年の節目にあたります。 [ 名跡 ] ◾︎ 中村富十郎_定紋: 八本矢車/替紋: 杏葉杜若 ◾︎ 中村鷹之資_定紋: 八本矢車/替紋: 杏葉桜

#23 【 山城屋_やましろや 】 元禄時代、初代 坂田藤十郎は柔らかく優美な「上方和事」を創始、江戸の市川團十郎に並び、梨園で最も権威ある大名跡でしたが、安永2年[1774年]以降は長らく名乗る者がいませんでした。231年ぶりとなる平成17年[2005年]京都・南座にて、三代目 中村鴈治郎(成駒家)が四代目 坂田藤十郎を襲名。初代が活躍した時代には屋号がありませんでしたので、襲名を機に四代目 藤十郎の出身地・京都に因み「山城屋」と名付けられました。 初代は近松門左衛門の作品に多く主演して人気を高め上方俳優の第一人者となりましたが、当代も造詣が深く「近松座」を結成して約35年。 江戸歌舞伎と上方歌舞伎、両方の芸が隆盛にむかうよう歌舞伎界を牽引する中心的存在となります。 [ 名跡 ]坂田藤十郎 [ 定紋 ]五つ藤重ね星梅鉢 [ 替紋 ]向い藤菱

#22 【 大和屋_やまとや 】 初代 坂東三津五郎が養子に入った、初代 坂東三八の実家の屋号が「大和屋」であることに由来しています。 坂東家の主流は坂東三津五郎の系統ですが、坂東姓の元祖は初代 坂東又九郎になります。 江戸三座の一つ「森田座」の創設者である森田太郎兵衛は、初代 又九郎をパートナーに迎えます。又九郎の次男 又七を養子にして、初代 森田勘弥(喜の字屋)を名乗らせ、森田座を譲りました。坂東家と森田家は密接な関係にあります。 十四代目 守田勘弥の養子である当代 坂東玉三郎は、繊細な舞台姿とはうってかわり、強い意志とたゆまざる努力で50年以上舞台に立ち歌舞伎界の人気を支え続け、名実共に女方の頂点といわれています。 [ 名跡 ]坂東 三津五郎・玉三郞・八十助・岩井半四郎 ほか [ 定紋 ]三津五郎_三ツ大/玉三郎_花勝見 [ 替紋 ]三津五郎_花勝見/玉三郎_熨斗菱 [ 役者文様 ]三ツ大縞・花勝見・三津五郎縞・玉三郎縞 -- 【 喜の字屋_きのじや 】 江戸三座の一つ森田座(→守田座→新富座)の座元であった森田勘弥(守田勘弥)が専有する屋号です。

#21 【 高島屋_たかしまや 】 四代目 市川小團次の実家が江戸市村座で火縄を売る茶屋「高島屋」であることに由来します。 七代目 市川團十郎の門弟だった小團次ですが、四代目以前は「成田屋」でした。 早替わり・宙乗りなどのケレンや舞踊を得意とした四代目 小團次は、努力と工夫を怠らず着々と実績を積み、名実ともに江戸を代表する役者となりました。 四代目 小團次の養子で、明治座の座元兼座頭役者として人気を博した初代 市川左團次は、九代目 市川團十郎、五代目 尾上菊五郎とともに「團菊左」と並び称されました。 四代目 小團次の実子には、大坂で活躍した初代 右團次(高嶋屋)がおります。その名跡が81年ぶりに復活するとして、2017年1月 新橋演舞場「壽新春大歌舞伎」での三代目 市川右團次襲名披露が話題となっています。 [ 名跡 ]市川 小團次・子團次・左團次・右團次・九團次 ほか [ 定紋 ]小團次_三升/左團次_三升に左 [ 替紋 ]小團次_杏葉牡丹/左團次_松皮菱に鬼蔦(高島屋家紋)

#20 【 澤瀉屋_おもだかや 】 初代 市川猿之助の生家が副業として薬草の「澤瀉」を扱う薬屋を商っていたことに由来します。 元々は九代目 市川團十郎の弟子でしたが、勘気に触れて破門となり、自ら研鑽を重ねて芸を磨き続け苦節20年、師から破門を解かれたことを機に改名したのが初代 猿之助となります。後年は成田屋の番頭格の立役になりました。 澤瀉屋宗家の名跡は「市川猿之助」と「市川段四郎」の二枚看板で、双方を一代ごと交互に襲名しています。 また、三代目 猿之助が昭和61年[1986年]に現代風の「スーパー歌舞伎」を創始、当代 猿之助がセカンドラインを新たに展開しています。 澤瀉屋の家の芸は、初代 市川猿翁(二代目 猿之助)が得意とした舞踊劇「猿翁十種」に始まり、現在ではスーパー歌舞伎も取り入れた「猿之助四十八撰」に進化しています。 [ 宗家 ]市川 猿之助・段四郎・團子・龜治郎 [ 同門筋 ]市川 中車 [ 定紋 ]猿之助_澤瀉/段四郎_三升に段の字 [ 替紋 ]猿之助_三ツ猿/段四郎_八重澤瀉 [ 家の芸 ]猿翁十種 → 澤瀉十種 → 猿之助十八番 → 猿之助四十八撰

#19 【 京屋_きょうや 】 大坂に生まれた幕末期の役者・初代 中村雀右衛門は、四代目 中村歌右衛門(成駒屋)の門弟でした。敵役が多く、晩年には「実悪の開山」と称されました。初代の屋号は「江戸屋」、二代目以降が「京屋」となります。 平成28年3月、先代の次男が芝雀改め五代目 中村雀右衛門を襲名。町娘は可憐で美しく、芸者などでは上品な色香が評判の立女形です。 [ 名跡 ]中村 雀右衛門・芝雀・京蔵 [ 定紋 ]京屋結び [ 替紋 ]向い雀

#18 【 中村屋_なかむらや 】 猿若勘三郎が、江戸初期に中橋南地(現在の京橋付近)に建てられた「猿若座」が「中村座」の最初であると同時に、江戸歌舞伎の発祥地となります。江戸三座のなかで最も古い「中村座」が屋号の由来です。後に、猿若勘三郎は座号をとって「中村勘三郎」と改名、代々中村座の座元(一座を主宰し、芝居小屋を経営する者)の名跡として受け継がれていきました。中には、役者と兼務して舞台に立つ人もいましたが、幕末の頃からは実際に名乗る人はいなくなりました。それまで長く途絶えていた名跡を昭和25年[1950年]に復活させたのが、17代目 中村勘三郎です。襲名するにあたり、初代以降の「柏屋」から、名跡と座号にちなみ、新たに「中村屋」としました。ここから現在、勘九郎・七之助兄弟が活躍しています。 [ 宗家 ]中村 勘三郎・勘九郎・七之助・勘太郎・長三郎 [ 定紋 ]角切銀杏 [ 替紋 ]丸に舞鶴 [ 門弟筋 ]中村 四郎五郎・小山三 [ 役者文様 ]中村格子

#17 【 成駒屋・成駒家_なりこまや 】 初代 中村歌右衛門は、公私にわたって親交を暖めていた四代目 市川團十郎から「将棋の駒」の文様の舞台衣装を贈られ、義兄弟の契をかわしたというエピソードがあります。四代目 歌右衛門が襲名する時に、江戸の役者として認めてもらう意気込みで、二人の絆を記念し、成田屋の「成」と「駒」を組み合わせ「成駒屋」と称するようになりました。それまでの歌右衛門の屋号は、初代の生国から加賀屋でした。 また、平成27年[2015年]四代目 中村鴈治郎の襲名を機に、上方歌舞伎の中村鴈治郎家一門は屋号を「成駒家」という家号に変更しています。 [ 名跡 ] ◾︎中村歌右衛門_定紋:祇園守/替紋:裏梅 ◾︎中村芝翫_定紋:祇園守/替紋:四つ梅 ◾︎中村福助_定紋:祇園守/替紋:裏梅 ◾︎中村兒太郎_定紋:児太郎雀/替紋:祇園守 ◾︎中村橋之助・福之助・歌之介 [ 成駒家 ]中村 鴈治郎・扇雀・壱太郎・虎之介 [ 役者文様 ]祇園守・芝翫縞・イ菱・寒雀

#16 【 播磨屋_はりまや 】 初代 中村歌六は、大坂三井の番頭・丹波屋甚助の子に生まれましたが「播磨屋作兵衛」の養子に出されたことから「播磨屋」が由来しています。 三代目 中村歌六の長男が、「大播磨」と呼ばれた初代 中村吉右衛門です。大正時代には六代目 尾上菊五郎とともに「菊吉」と並び称され、昭和期には第一線にのし上がりました。 初代 中村吉右衛門が得意とした狂言のうちから、お家芸の「秀山十種」が制定されています。「秀山」は初代の俳名にちなんだものです。 「鬼平犯科帳」でもお馴染みの当代は、二代目 中村吉右衛門になります。 [ 名跡 ]中村 吉右衛門・歌六・又五郎・吉之丞・歌昇・米吉・種之助・種太郎・もしほ/市川 鰕十郎・市蔵 [ 定紋 ]揚羽蝶 [ 替紋 ]村山片喰 [ 役者文様 ]播磨屋格子 [ 秀山十種 ]二條城の清正・蔚山城の清正・熊本城の清正・弥作の鎌腹・清正誠忠録・松浦の太鼓

#15 【 音羽屋_おとわや 】 市川團十郎家に次いで、約300年の歴史をもつ名門。 京都の宮川町に住み、都万太夫座の出方を勤めていた、初代 尾上菊五郎の父親「音羽屋半平」が「音羽屋」の由来とされています。 初代 菊五郎は、女方として人気を博し、30台半ばで立役に転向。立役と女方の両方を兼ねて演じる役者の芸域の広さを称賛した「兼ル」は、後世にも受け継がれている芸風です。 明治時代に「團菊左」と並び称された名優・五代目 菊五郎は、七代目 市川團十郎による「歌舞伎十八番」に対抗して、尾上家の当り狂言の中から「新古演劇十種」を制定しました。 [ 宗家 ]尾上 菊五郎・菊之助・丑之助・梅幸・九郎右衛門・右近・榮三郎 [ 定紋 ]重ね扇に抱き柏 [ 替紋 ]四ツ輪 [ 門弟筋 ]尾上 松緑・辰之助・松助・松也・多見蔵・多賀之丞・卯三郎/坂東 彦三郎・龜三郎・亀寿 [ 役者文様 ]斧琴菊・菊五郎格子・松緑格子 [ 新古演劇十種 ]土蜘・茨木・戻橋・羽衣・菊慈童・一つ家・刑部姫・羅漢・古寺の猫・身替座禅

#14 【 高麗屋_こうらいや 】 初代 松本幸四郎が若い頃に、江戸神田の「高麗屋」という商店で丁稚奉公していたことが由来とされています。 七代目は日本舞踊藤間流の藤間勘右衛門も同時に名乗り、八代目以降は日本舞踊松本流の宗家でもあります。 本来は、市川團十郎の弟子筋にあたる家ですが、二代目 松本幸四郎の実の父は、二代目 市川團十郎であったともいわれ、その縁からか、成田屋に市川團十郎の跡継ぎがいない場合には、高麗屋から養子を迎えて市川宗家を継ぐことが通例となっています。 [ 宗家 ] ◾︎ 松本幸四郎_定紋: 四つ花菱/替紋: 浮線蝶 ◾︎ 市川染五郎_定紋: 三つ銀杏/替紋: 四つ花菱 ◾︎ 松本金太郎_四代目からは新定紋/替紋: 四つ花菱 [ 門弟筋 ]市川高麗蔵/松本 錦吾・幸右衛門 [ 役者文様 ]高麗屋格子

#13 【 成田屋_なりたや 】 歌舞伎における屋号の始まりは「成田屋」といわれ、初代 市川團十郎が信仰していた成田不動にちなんでいます。 初代が「荒事」を創始、二代目が芸を洗練して様式化。 七代目が制定したお家芸の「歌舞伎十八番」は、初代・二代目・四代目によって初演された中から選ばれました。 [ 宗家 ]市川 團十郎・海老蔵・新之助・三升 [ 定紋 ]三升 [ 替紋 ]杏葉牡丹 [ 門弟筋 ]市川 新蔵・小團次・壽美蔵・壽海/嵐雛助 [ 役者文様 ]鎌輪ぬ・三升格子・六弥太格子 [ 歌舞伎十八番 ]暫・七つ面・象引・蛇柳・鳴神・矢の根・助六・関羽・押戻・嫐・鎌髭・外郎売・不動・毛抜・不破・解脱・勧進帳・景清

新歌舞伎

#12 【 新歌舞伎_しんかぶき 】 江戸時代から明治初年に至るまで、歌舞伎の台本は「狂言作者」とよばれる、一座や芝居小屋に専従する歌舞伎専門作者が書いていました。 明治から大正にかけて、劇場との関係を持たない独立した作者によって書かれた歌舞伎の演目が「新歌舞伎」です。 「演劇改良運動」で試みられた時代考証や西洋演劇の演出を軌道修正していく中で、明治後期にはそれまでの座付作者と異なる劇作家が現れ、文学性の高い作品を歌舞伎狂言として書下ろすようになりました。 坪内逍遥・岡本綺堂・真山青果・長谷川伸・菊池寛・泉鏡花などの作家が挙げられます。 ↓ 【 新作歌舞伎_しんさくかぶき 】 第二次世界大戦の戦中から戦後以降に書かれた近年の新しい作品は「新作歌舞伎」あるいは「新作」と呼び、「新歌舞伎」とは区別しています。

松羽目物

#11 【 所作事_しょさごと 】 歌舞伎演目の中で、舞踊的な部分が「所作事」になります。長唄の伴奏に合わせた「舞踊」と、浄瑠璃(義太夫節・常盤津節・清元節など)に合わせた「舞踊的な演劇」の大きく二つあります。その両方を織り交ぜた演目もあり、境界線は曖昧です。 ◾︎ 変化物_一人の踊り手が早替りで異なる役柄に扮して踊るもの ◾︎ 松羽目物_能楽を基にした舞踊劇 ◾︎ 獅子物_能楽の『石橋』に基づく獅子の舞 ◾︎ 道成寺物_能楽の『道成寺』を舞踊化したもの

世話物

#10 【 世話物_せわもの 】 「世話物」は、江戸時代の庶民にとっての現代劇です。町人を中心に、世間で起きた話題の出来事を題材にしています。義理・人情・恋愛・葛藤などを描く「世話物」は、庶民の実生活に近いため、感情移入しやすく、テレビドラマと似たような感覚があります。 明治時代に入ると、社会の変化を反映した「散切物_ざんぎりもの」と「活歴物_かつれきもの」が現れました。明治の新風俗を取り入れ、江戸時代には幕府による取り締まりのために不可能であった演出が試みられるなどの特徴があります。しかしこの2種は、現在ではほとんど上演されていません。「散切物」は世話物、「活歴物」は時代物、に分類されます。 ■ 生世話物_世話物の中でも生粋で、写実的な内容と演出 ■ 散切物_髷を切り落とした短髪の散切頭や洋装など、明治期の新風俗を盛り込んだもの

時代物

#9 【 時代物_じだいもの 】 「時代物」は、江戸の庶民の日常からかけ離れた、遠い過去の公家や武家の社会を題材にしています。 江戸時代においては、武家社会に起きた事件や実名は御上の目が厳しく「織田信長→小田春永」「明智光秀→武智光秀」「大石内蔵助→大星由良之助」とアレンジして、法の目をくぐってきました。 歴史上の事実や伝説を、作者の創造性による脚色で出来ている「時代物」は、大きく三種類に分けることができます。 ■ 王朝物_平安・奈良・飛鳥時代の王朝の公家社会 ■ 狭義の時代物_源平合戦から戦国時代に至る戦乱を背景とした武家社会 ■ お家物_江戸時代の諸大名の藩中で起きた出来事 -- ■ 活歴物_これまでの荒唐無稽な歌舞伎から、明治期に入って改革された史実を尊重した歴史劇

荒事

#8 【 荒事_あらごと 】 勇壮活発な「荒事」を創始した初代 市川團十郎は、甲州の浪人の子孫で、江戸の町で市井を徘徊したあばれ者の一人だったそうです。 永い戦乱の後に泰平を取り戻した頃、戦国時代の英雄が潰され、立ちまわりが上手なごますり大名が出世する世の中。その反発から、庶民および浪人武士から人気を博した時代背景があります。 主人公は、大力で強く、正義感に躍動しているため、顔ばかりではなく手足にも「隈取」をして、全身が高揚した状態を表しています。 様式で最も特色があるのは「見得_みえ」。物語の重要な場面で気持ちが盛り上がった時に、あえて静止してポーズを取り、役者の姿を観客に印象づける手法となります。 また、花道から幕外へ歩く時は「六方_ろっぽう」という、大きく手を振り足を力強く踏みしめる、特殊な跳躍動作を行います。 一から十まで誇張した演技の荒事は「かぶき者」と大評判になり、二代目 團十郎へと芸を継承して大成しました。 代々の團十郎が名優であり、人気・実力ともに江戸歌舞伎を代表する名家となった市川宗家。「家の芸」として保存された「歌舞伎十八番」の全てに「荒事」の要素が含まれています。

隈取

#7 【 隈取_くまどり 】 初代 市川團十郎が人形浄瑠璃からヒントを得て、坂田近平役の初舞台で紅と墨を用いて化粧をしたことが隈取の始まりといわれています。 感情の高揚によって浮き上がる、顔の血管や筋肉を誇張するために取るもので、役柄によって色や形が異なります。 元禄時代から様々な俳優が工夫してきたため、デザインやバリエーションが幅広く、大きく分類しても50種類ぐらいあるといわれています。 ■ 赤色_勇気・正義・強さ ■ 藍色_スケールの大きな敵役・極悪人 ■ 茶色_人間以外の鬼や妖怪・もののけ

初代_坂田藤十郎

#6 【 初代 坂田藤十郎_さかたとうじゅうろう 】 元禄時代、江戸で市川團十郎の「荒事」が人気を博した一方、上方(京・大阪)では、初代 坂田藤十郎が柔らかく優美な演技の「和事」を創始しました。 延宝6年[1678年]に演じた「夕霧名残の正月」の伊左衛門役をはじめとした、本来は高貴な人物が何らかの事情で落ちぶれた姿を見せる「やつし事」が大評判に。 また、人形浄瑠璃の作家として有名な近松門左衛門と提携して作品に多く出演・人気を高め、上方俳優の第一人者となりました。 安永2年[1774年]に三代目が仙台で客死した後は襲名する者がおらず、坂田藤十郎の名は伝説的な大名跡となりましたが、平成17年[2005年]に231年ぶりの四代目襲名となりました。 屋号は「山城屋」。初代の定紋は、菅原道真公が祀られている京都・北野天満宮の神紋としても有名な「星梅鉢」、四代目の定紋は「五つ藤重ね星梅鉢」です。

初代_市川団十郎

#5 【 初代 市川團十郎_いちかわだんじゅうろう 】 「野郎歌舞伎」が終わり、元禄時代には、江戸と上方(京・大阪)でそれぞれの芸が発展します。 武士中心の町・江戸では「荒事_あらごと」(見得・六方・隈取などの独特な様式で表現される豪快で力強い芸)を得意とした初代 市川團十郎が活躍しました。 初代 團十郎は、成田山新勝寺にほど近い幡谷の出身。跡継ぎに恵まれず、成田山の当時の本堂であった薬師堂で子授け祈願、見事に待望の長男を授かりました。 長男誕生の感謝をあらわして、初めて不動明王をテーマにした歌舞伎「兵根元曽我_つわものこんげんそが」を中村座で親子共演したところ、この舞台が大当たり。これを機に「成田屋」の屋号を使うようになったのです。 また「三枡文_みますもん」(大中小の枡を三つ入れ子にして上から見た形)を考案して評判となり、一門の定紋としました。

野郎歌舞伎

#4 【 若衆歌舞伎_わかしゅかぶき 】 「女歌舞伎」の禁令により、前髪のある成人前の少年が演じる「若衆歌舞伎」に人気が集まります。 しかしこれも風俗を乱すため、承応元年[1652年]頃から禁令が出されるようになります。 ↓ 【 野郎歌舞伎_やろうかぶき 】 「若衆歌舞伎」が禁じられた翌年の承応2年[1653年]、前髪を剃り落とした野郎頭の成人男性が演じる「野郎歌舞伎」が生まれます。 男性が女性を演じる女形もこれによって確立し、現在に至ります。 女形を演じるときは、この絵のような布で「月代_さかやき」(前頭部から頭頂部を剃り落とした頭髪)を隠していました。

女歌舞伎

#3 【 女歌舞伎_おんなかぶき 】 出雲の阿国が創始した「かぶき踊り」が人気となり、それをまねた遊女によって演じられた「かぶき踊り」を「女歌舞伎」といいます。京だけではなく江戸やその他の地方でも興行され流行しました。 当時の最新楽器だった三味線に合わせて踊り、贅を凝らした艶やかな遊女歌舞伎には、多くの見物客が集まったそうです。 しかし、風紀を乱すため、寛永6年[1629年]に徳川幕府から禁止令が出されました。

出雲阿国

#2 【 出雲阿国_いずものおくに 】 安土桃山時代から江戸初期にかけて「かぶき踊り」で一世を風靡した出雲阿国。出雲大社の巫女といわれていますが、実像は謎に包まれています。 少女時代に出雲大社の勧進(寄付金集め)で諸国を巡業、「ややこ踊り」(幼い子の踊り)が評判となり、それを基に四条河原で「かぶき踊り」を創始、現代の歌舞伎につながっています。 男装して茶屋の女と戯れる様子を演じたので「傾く_かぶく」(常識外れ・異様な風体)と大好評。「神に捧げるもの」であった舞踊から「庶民を楽しませる芸能」に昇華させました。 胸元を飾るロザリオは、キリシタンではなく、異国文化を取り入れた当時の最新ファッション。 まさにかぶき者!

アメノウズメ

#1 【 アメノウズメノミコト 】 日本神話「岩戸隠れ」伝説に登場する芸能の女神。日本最古の踊り子。